コラム (1):グラビティデイズの魅力を再考する-グラビティデイズが"私のゲーム史"という内宇宙に生じさせた摂動-
前回、私のブログでグラビティデイズ2の感想記事を書かせていただいた。
結果は、5年間待った甲斐のあった素晴らしい出来で、1,2で一つの作品としてとらえた場合"グラビティデイズ"という作品は私のゲーム史の中で文句なしで1番の作品となった。
ではなぜ、グラビティデイズという作品がこれほどまでに私の心をひきつけたのか?
それについて私が自分なりに考察してみたので今回はそれをゲームが好きな人、興味のない人、グラビティデイズが好きな人、嫌いな人の双方に伝わるように紹介できればと思う。
唯一無二の重力アクション
グラビティデイズを語るうえで重力アクションはやはり欠かせない。
幼いころ、誰もが一度は自由に空を飛び回ることを夢見るはずだ。
グラビティデイズはニュアンスは少し違うとはいえその夢をかなえてくれる作品だ。
”自由に空を飛び回る”という発想は先に述べたように誰もが抱く夢のひとつだ。しかし、これをゲーム作品に投影したものは意外に少ない。
空を飛ぶ要素はあったとしても時間制限や何らかの制約を受けていわゆる"生身での完全な自由飛行"が可能となっているゲームはほぼないと言ってもいいだろう(というか私は見たことない)。
一応グラビティデイズの重力操作にも時間制限はあるが重力操作を解除すれば直ぐにエナジーがいっぱいになるため時間制限はあってないようなものである。
グラビティデイズは”重力を操作し、ありとあらゆる面を自由に”下”と定義することによってその方向に落下することができる。その結果あたかも自由に空を飛び回ることもできる”というものだが、この発想はグラビティデイズの生みの親である外山ディレクターが時間がタイトな朝の出勤の時に「会社の最寄駅から会社まで飛んでいけないかなー」と思ったのがそもそもの始まりなのだそうだ。
そういう意味ではグラビティデイズは”発想の勝利”といえる作品ではある。
なにせ"みんなが誰しも抱く夢なのに実現している作品はゼロ"なのだからこれほどアドバンテージになるものはないだろう。
もちろん空を飛ぶこと以外でもこの重力アクションは大活躍だ。
戦闘では重力落下を生かした"重力キック"、物を浮かせて敵に放り投げる”重力スロー”、地面を高速で駆け抜ける"重力スライド"という技がある。
いずれの技も癖があり最初は戸惑うことも多いが慣れると非常に爽快で気持ちがいい。
こういった技があるからこそグラビティデイズはあくまでも重力"落下"というコンセプトだし、売り文句も「少女は空に"落ちる"」なのである。
空を飛ぶことにだけ執着するのではなく敢えてそこに重力というポイントを見出したからこそグラビティデイズという作品はここまで盛り上げてこれたのだろうと思う。
個性的なキャラクターたちが織り成す温かみのあるストーリー
グラビティデイズを語るうえで魅力的なキャラクターたちのことも忘れてはいけない。
まずは本作の主人公のキトゥンを簡単に紹介させていただこう。
キトゥンは記憶喪失の少女でプレイヤーが操作できるようになる時点より前のことは何一つ覚えていない。一緒にいる不思議な黒猫ダスティによって重力を操る力に覚醒するがそれでもやはり何も思い出せず見ず知らずの土地で生活せざる得ない状況になる。
それでも持ち前の明るさと天真爛漫な性格で困難を乗り越えていき、縁にも恵まれ街の住民とも馴染んでいくようになる。
そして最終的に自分の正体や過去の記憶に迫っていくという風になるのだが、この主人公のキトゥンは本当に天真爛漫という言葉がぴったりで嫌味っぽいところがほとんどない。
また、おだてられたり頼られたりすると断れない(チョロい)性格や、ちょっと抜けているところがありそこがまた親しみやすさを存分に湧かせてくれている。それがまた本当に絶妙な塩梅なのである。控え目すぎず、かといってあざとすぎず・・・
プレイヤーからすると物凄く応援したくなるというか、助けてあげたくなるというか・・・
母性本能をくすぐられるのとはまた違う何とも形容しがたい気持ちにさせられるのだ。
キトゥンのキャラメイクをした方は本当にいい仕事をしたなぁと素直に感心するばかりだ。
そのほかにも、トラブルメーカーだけどどこか憎めないお調子者の警官シドーや、同じ重力使いであるクロウなど魅力的なキャラクターであふれている。
そのキャラクター全てにおいて”キャラは立っているがやりすぎていない”という味付けの仕方がまた絶妙なのだ。これはグラビティデイズの世界観が大きく関わっていると私は考えているがその点については後述する。
そうした魅力的なキャラクターたちが織り成すストーリーもグラビティデイズの魅力の一つである。
グラビティデイズのストーリーは決して深いものではないと私は思う。
現代社会への風刺や自分の人生観について考えさせるようなものも特にあるわけではないしおそらく多くの人がそう感じるだろう。
展開も非常にわかりやすく、典型的ないわゆる勧善懲悪モノだ。
しかし私は逆にそれこそが魅力なのではないかと考える。
先にも述べたようにグラビティデイズは幼いころに描いた夢を実現した作品だ。
言い換えれば”童心に帰らせてくれる作品”なのだ。
そのような作品に難解なテーマや壮大なテーマが必要だろうか?私は違うと考える。
例えば、サルゲッチュに重厚で深みのある話を求めている人はいないだろう。程度は違えど要はそれと似たようなものである。
深いテーマがあるわけではないけれど、どこかなごんで心があったかくなるストーリー。幼いころ、親や祖父母、親戚などが枕元で読み聞かせてくれた絵本のようなストーリー。
それこそがグラビティデイズのストーリーの真骨頂ではないかと思えてならない。
バンドデシネによる独特なストーリー進行
そして、グラビティデイズの名物と言えばストーリーの各話の導入部分や重要シーンに組み込まれる漫画パート。これもグラビティデイズを語るうえでは欠かすことはできない。
グラビティデイズはストーリーの進行上でテキストやムービーの代わりに漫画を読み進めていく部分が存在する。
この漫画パートでは日本人にはあまりなじみのないバンドデシネという欧州の漫画スタイルを採用している。(ただ、これもあくまで"軸"として採用しているにすぎず、実際にはアメコミや日本の漫画の手法も採用しているという)
ストーリー進行で漫画を採用するというのはこれもまたあまり聞かないが、これもまたグラビティデイズの魅力を引き立てるのに一役買っている。
先ほどのストーリーの紹介で”グラビティデイズはわかりやすくかつ童心に帰れるような温かみのあるストーリーが魅力”と書いたがこの魅力を活かすのに漫画というのは非常に効果的だ。
特にわかりやすさ、とっつきやすさという部分ではムービーよりもはるかに上なのは間違いない。また、グラビティデイズのキャラクターや世界観とバンドデシネは非常に相性がいいことも拍車をかけている。
また、漫画にすることによって登場人物たちの表情や心情をめいっぱい表現することによって物語に対する没入間を一気に増加させる効果もある。漫画を読んでいると夢中になってついつい時間を忘れてしまうなんてことがあると思うが、それは漫画というコンテンツはそういった部分に長けているからだろう。
そういう意味で言ってもストーリーの”導入部分”や"重要な部分"に組み込んでいるのは非常に巧いと言える。
そんな漫画パートだが本当によく練られている。
コマやエフェクトの使い方、表情の表現や構図などなど本職も顔負けの出来である。
また、この漫画はデュアルショックを傾けるとそれに合わせて漫画も傾くようになっていて立体的に楽しむことができるのも大きな特長だ。
”ただの漫画”というだけではなくさまざまな楽しみ方ができるグラビティデイズの漫画パートは一見の価値ありだ。
独創的で芸術的側面も併せ持つ美しい世界観
グラビティデイズの魅力の中で私が最も重要視しているのがこの世界観だ。
グラビティデイズの世界観は”ゲーム”のレベルを軽く超えており、芸術作品の域に達しているといっても過言ではない。
まずは、こちらの絵をご覧いただこう。
これは1のパッケージやファミ通などの各メディアでの紹介記事に掲載されていたコンセプトアートだ。
キトゥンが重力の力を使い、ビルの壁面に立ち、グラビティデイズの建造物の中である意味象徴的な存在のクロックタワービルディングを眺めるといった絵だが、私はこの絵を見た瞬間、言葉にできないような衝撃を覚え、そのあまりの美しさに息をのんだと同時にこの作品に秘められた並々ならぬポテンシャルを感じ取った(実際にその予感は当たっていたわけだが)。
ここで、いくつかグラビティデイズのコンセプトアートをご覧いただければと思う。
いかがだろうか?いずれも甲乙つけがたい素晴らしい作品たちだ。
もし美術館の幻想絵画のコーナーにこれらの作品が他の一般の作品たちとともにひっそりと紛れて展示されていたとして、これがゲーム作品のコンセプトアートだと見分けることができるだろうか?
私には見破ることはできないだろう。それどころかほかの作品と遜色ないように感じてしまうだろう。皆さんはどうだろうか?
さて、そんなグラビティデイズのコンセプトアートだが先日シナリオライターである佐藤直子さんがTwitter上で、グラビティデイズのコンセプトアートを手掛けた緒賀岳志さんの作品集のリンクを紹介されているのでぜひこちらも一見していただければと思う。
コンセプトアーティスト緒賀岳志/Takeshi Ogaさんの世界。https://t.co/SzgU2L303m
— 佐藤直子🍎重力猫 (@310705) 2017年2月4日
私がここで凄いと思うのはこれらの作品を何もない状態から、自分たちの頭の中にあるぼんやりとしたイメージだけを頼りに1つの作品として形にすることができることである。
私にはこんな芸当は逆立ちしたってできない(というかそもそも絵心がないのだが)。
ここまでは、グラビティデイズの世界観の基礎となっているコンセプトアートについて触れてきたが、ゲームにするためには当然これだけでは成立しない。
3Dの世界に落とし込んでいき、それにあった色付けが必要になってくるわけだが、これも簡単なことではない。
コンセプトアートが描いているのはあくまでもほんの一部に過ぎない。そのイメージを3Dマップ全体として落とし込むには相当な苦労があったはずだ。
また2Dと3Dでは見え方や受ける印象が違ってくる。アニメがその典型的な例だろう。その2Dと3Dの見え方や受ける印象の違いによって生じるギャップをいかに埋めるかというのが重要になってくるが、グラビティデイズはそれを見事に乗り越えている。
実際にプレイしたことがある方は共感いただけると思うが、本当にコンセプトアートの世界をそのまま反映させたといってよいだろう。
テクスチャを見てもただがむしゃらに作りこむだけでなく、グラビティデイズの世界に馴染むように工夫されているのがわかる。また、街中の空気の色調にも手を加えることによって、それぞれの街を差別化している点もこの独特の世界を表現するための工夫となっている。
それらの工夫が実際に実を結んでいるか?という問いについては、「散歩するだけで楽しい」、「どこでも絵になる」という評判を聞けばその答えは明確だろう。
また、サウンド面も忘れてはならない。グラビティデイズの特長のひとつとしてオリジナル言語がある。グラビティデイズでは日本語をベースにフランス語っぽく聞こえるようにしたオリジナル言語、いわゆるグラビティ語が使われている。
ゲーム中のセリフ音声やゲーム内の看板等は全て全世界共通でこのグラビティ語が使用されており、それによって異国情緒を演出している。
このグラビティ語、響きがとてもかわいらしい言語なのでまだ聞いたことがない方はぜひ一度聞いてみてほしい。
ちなみに、このグラビティデイズのキャストは全て日本人の声優なのだが、アフレコ台本は全てがカタカナで訳が分からない言葉が書かかれたシュールな台本になっていたという。
そして、この世界を彩る音楽についてもやはり紹介しなければならない。
グラビティデイズでは1,2ともに田中公平先生が楽曲提供を行っている。田中先生はワンピースの楽曲も手掛けている、アニメ・ゲーム音楽業界のいわば巨匠的存在だ。
そんな大物がグラビティデイズの楽曲に携わっているわけだがやはりさすがという出来である。各マップや、状況を見事に再現したうえで聞いた人の頭に残る印象的な楽曲に仕上がっている。
ジャンルもオーケストラ、ジャズ、ロックと幅広く聞く人の耳を飽きさせないモノになっている。このことについては田中先生も「田中公平らしさとは違うものを作ることができた」と語っている。
また、グラビティデイズへの思い入れは相当なもののようで「自分のもう一つの名刺代わりになるようにしたい」と各メディアで語っていた。
そんな、色々な方の思いや情熱が詰まったからこそグラビティデイズの世界観はここまで魅力的なものになったのだろうと思う。
そして、今上で述べたことが集約されていると言っても過言ではないグラビティデイズのOPムービーを紹介しよう。美しい世界を3Dで見事に描き切り、その世界に田中公平先生が出がけた切なさの中に温かさを感じる曲「万有引力の発見」が鳴り響く。
私はこれほどまでに印象的なOPを見たことがなかった。あわよくばその思いを誰かと共有できれば幸せに思う。
ただ、一応リンクは貼っておくができれば自身がゲームを起動し、家の大きなテレビで腰を据えて堪能して欲しい。
考察することにより見えてくるグラビティデイズの"ゲーム作品"としての凄み
さてここまでグラビティデイズの魅力について語ってきたわけだが、グラビティデイズの”魅力”というのは本当によくできていると私は感じている。
では、一体なにが良くできているのかということをこれから語っていきたいと思う。
世界観と重力アクションの因果関係
先ほど、グラビティデイズの 魅力に”重力アクション”と”世界観”を挙げさせてもらった。
勘の鋭い方はお気づきだろうが、このふたつの魅力はそれぞれ個別の魅力であると同時に、双方を引き立てる役目も担っているのである。
この美しい世界観があるからこそ、その世界を自由に飛び回れる重力アクションという魅力がさらに引き立てられるし、その逆もまたしかりで、重力アクションがあるからこそ、世界を隅から隅まで堪能することができ、その結果「世界観が素晴らしい」という評価を受けることができたのである。
言葉にしてみれば、そしてグラビティデイズを実際にもう見てしまった今なら書いてることはものすごく当たり前のことを書いているように見えるかもしれないが、実際に自分が何もないところからこのような相互関係を作り上げることができるかと言われるとおそらくわかっていただけるだろうと思う。
もし重力アクションがなければグラビティデイズはいわゆるただの"雰囲気ゲー"で終わっていたかもしれないし、この美しい世界がなく重力アクションだけならばグラビティデイズは"ちょっと風変わりなアクションが楽しめるゲーム"として終わっていたかもしれない。
さらにこれだけではない。次に行ってみよう。
世界観+重力アクション+ジェムによる育成システム
グラビティデイズにはプレシャスジェムと呼ばれるものが存在する。このプレシャスジェムはいわば経験値のようなものでキトゥンの能力を強化する際に必要になるものだ。
このプレシャスジェムだが、敵からのドロップは一部本当に特殊な例外を除いて一切ない。では、どうやって集めるのか?
正解は街中(あるいは異世界)に散らばっているものを集めるのだ。
グラビティデイズの世界には本当にありとあらゆるところにこのジェムが散らばっている。
例えば屋根の上や、
街の裏側にも存在する
このほかにも建物や街の壁面、路地裏などなど・・・
序盤だと、本当に目につく範囲にジェムが飛び込み続けてくるので、集めているうちに街の変なところに入り込んで迷ったり、ストーリーも進めないで30分も1時間もジェム集めをしていたり、なんてこともある。
つまり街中を移動することが経験値稼ぎとなっているわけだ。このような育成スタイルをとっているゲームは恐らくかなり稀だろう(というか私はみたことない)。
そこで先ほどの相互関係の話だ。重力アクションで自由に街を飛び回れるから美しい世界観が生かされる、逆もまたしかり。そこに街中に配置されたジェムを集めることによる育成システムが入るとどうなるだろうか?
ただでさえお互いを引き立てあっている相互作用がさらに輪を広げてしかもより強固なものになっているのがわかるだろう。
また2ではこれにフォトモードとそれに付随するオンライン要素が加わっていることも重要なポイントだ。
では次に別のアングルから見てみよう。
世界観と温かみのあるストーリーの相互関係
これも先に紹介させてもらったふたつの魅力だがこのふたつの魅力にも同じことが言える。
グラビティデイズのストーリーは決して深いものではない。おそらくそれ単体では最悪イマイチな評価が下されたかもしれない。
しかし、グラビティデイズのこの独特な世界観があったからこそ、このストーリーは魅力的なものになったといってもいい。
逆に世界観を楽しむ上で、難しすぎない、複雑すぎない優しいストーリーだったからこそ、グラビティデイズの世界観の長所を壊すことなくむしろ引き立てることに成功したといえるだろう。
また、先に少し触れていたがキャラクターの立ち具合についてもこの独創的な世界観があることによって多少キャラが立ちすぎていたとしても”その世界の住人の個性(設定)”としてユーザーが受け入れやすい仕組みになっている。
濃いキャラクター設定ができることによってそのキャラクターたちが住む街の魅力も自ずと強調されていく。
さてこのように、一つの要素があればその要素は必ずほかの要素の魅力を引き立てるつくりになっているのがお分かりいただけるだろう。
それはまるで縦糸と横糸が絶妙に織り重なった美しい織物の様である。
これを計算の上でやってのけたのか、それとも偶然の産物としてこのような状況が奇しくも生まれてしまったのかは外山ディレクターやシナリオライターの佐藤さん、アート・キャラクターデザイナーの斎藤さん、コンセプトアートを手掛けた緒賀さんなどなどに話を聞いてみないとわからない(ていうかぜひお話を伺いたい!!)がいずれにしても、このような面から見ると如何にグラビティデイズがゲーム作品として恐ろしく完成されたものなのか、現代のゲーム作品において如何に稀有な存在なのかをお分かりいただけただろうと思う。
これはどちらかというと理屈的な要素であり、実際にゲームを楽しむ上ではあまり関係のない部分(ゲームを楽しいと感じるのは本能的な部分に依存しやすいため)である。
しかし、このようなゲーム作りがなされている凄さはゲームをプレイするにおいて頭の片隅に入れておいて損はないだろうし、もしあなたが作品を”評価”するならばこのポイントは決して無視してはならない部分であることは明白だ。(なぜなら"評価・レビュー"とは主観だけにとらわれず客観的な視点からも述べる必要があるものだからだ。本能で感じた部分だけ書き並べて批評したものは"評価・レビュー"ではなくただの"一個人の感想"に過ぎない。)
最後に
さて、ここまでグラビティデイズに対して自分が感じていた魅力について語ってきたわけだが、ゲームの面白さというのは上述したように本能的に感じる部分が多い。
今ここにこうして書いた文章は、私が本能で感じた面白さの正体を自分なりに分析してそれっぽく聞こえるように後付けでの理由をこじつけたものにすぎず、それらが果たして自分が本能で感じたグラビティデイズの魅力を的確に正確に説明できているのか自分でもわからないところが正直なところだ。
そう、私がここまで一生懸命書いてきた文章、言葉はそれほどまでに曖昧で、脆く、そしてちっぽけなものなのだ。
それでも、誰かに作品の魅力を伝えるためには”具体的な言葉”にしなければならない。
たとえその言葉が、少し突っ込まれれば簡単に崩れ去ってしまう砂の城のようなものだと分かっていてもこうして文章にしてグラビティデイズの魅力を伝えずにはいられないのだ。一人でも多くの人に”分かってもらいたい”、”好きになってもらいたい”と強く思うのだ。
ある意味、”このような”気持ちにさせてくれるのがグラビティデイズの最もわかりやすい魅力なのかもしれない。
さて、最後に思いっきりメタ発言をぶち込んでしまったが、この記事を読んで少しでも多くの方がグラビティデイズに興味を持つ、あるいは魅力がイマイチわからなかった方がグラビティデイズの魅力に気づく、もしくは再考するキッカケになってくれればと切に願う。
また、それを機にグラビティデイズがもっと盛り上がってくれれば嬉しく思う。
それでは、ここまで長文・駄文にお付き合いいただき本当にありがとうございました。
またの機会にお会いしましょう。